僕が精神を病んだ一番の理由が醜形恐怖症。容姿を馬鹿にされ続けた学生時代のいじめ
僕はある生きづらさを抱えながら生きています。
また、学生時代のいじめをうけて我慢し続けてきたいじめサバイバー
そして、皆と同じように働けず前を向いて生きれないもどかしさ
そんなやり用のない思いを日々悶々としながら生きてきたわけですけど、
そんな中で一番傷ついたといいますか、辛かったのが醜形恐怖症。
この心の病は多分、なった人にしかわからないんじゃないかな?
なかなか理解されず辛い心の病です。
そんなことで、今回は僕が一番精神を病むきっかけとなった醜形恐怖症について語ってみたいと思う。
醜形恐怖症の事を誰にも言えないツラさ。病院の先生にも言えません。
僕は今、20代後半になる立派な大人。
でも心は10代で止まってます。そのきっかけはいじめです。
そして、現在も誰にも理解されない辛さを抱えてなんとかひきこもり気味ながらも生きています。
そのきっかけが醜形恐怖症という心の病。
実際に病院では診断されていません。ていうか、言えません。
だって、
「自分の顔が醜いんです。鏡もみれません」
なんて、だいの大人の男が言えるわけないですww
なので、今の主治医の先生にはオブラートに学生時代のいじめまでは言えるようにはなりましたが、
本当の辛さは自分の容姿が気持ち悪く感じてしまう事でした。
醜形恐怖症の症状で僕は自分の写真がとれません。
たぶん、自分の写真を最後に取ったのって卒アルか履歴書の写真くらいじゃないかな?w
その写真を撮る事はできても直視はできません。怖いのです。気持ち悪く感じてしまい、
その事で頭がいっぱいになり途端に気力、生きる気力がでなくなります。
あとは自分に自信が持てない。当然ですけどね。
自分の顔に自信がないから、女性からも気持ち悪く思われているんだろうなと思う事もしばしば。
よくたまに容姿を馬鹿にされますし。。女性ウケも悪いです(´;ω;`)ブワッ
なので、そういった意味でも外の世界にでるのが段々嫌になりました。。
一時酷かった時は街を歩く人が自分を馬鹿にした目で見られている感覚に陥ったこと。
これが学生時代から二十歳前半くらいまであったので、かなり辛かったし自分のこれからの人生を考えようだなんて余裕すらありませんでした。
とにかく、この容姿に生まれた事が憎く思う一方で、この怒りをどうしようもない気持ちでもあるので、
学生時代は我慢しそして大人になって感情が爆発しました。
恥ずかしながら親に八つ当たりもしてました。情けないです、本当に。
でも今でも容姿をみると吐き気といいますか、気分ががくんと落ち込むことがあるので、
生きていること自体嫌になってきます。
髪を切るのも嫌で自分の髪をさらすと輪郭が出てしまうので、そういうのは嫌で一時は、
髪を伸ばしていました。
ですが男なので女性とは違い髪で隠すのにも限界があるため、いやいや散髪に行って、気分を害します。
(美容師が悪いわけではないですwぼくのビジュアルが悪いだけですw)
そんなことをもう10代から抱えているので疲れてきたのもあってひきこもりました。
学生時代のいじめの発端は顔がデカいと容姿への侮辱
僕が醜形恐怖になったきっかけは学生時代のいじめでした。
発端は中学2年生頃になります。
僕は当時サッカー部に所属してました。サッカーは小学校4年生から続けていたこともあり、
中学校でもサッカーをやろうと思って入ったんですけど、
強豪だったせいか、上下関係が厳しかったせいか、段々と人間関係がどろどろになっていきました。
僕はその光景をみるのも嫌だったんですけど、ある時、僕はいじめのターゲットになります。
きっかけはある一人の男子生徒から容姿への侮辱を受けた事。
これがいじめのきっかけになり、途端に学校内でも集中砲火をうけます。日頃の暴力は別に今ではなんともないんですけど、
容姿という一番変えられない部分をけなされる事がとても辛く悲しく、そして高校でも同じく似たような奴に容姿を馬鹿にされました。
僕自身、顔の輪郭が大きいためか
「顔がデカいw」ってよく言われてきましたね。
そういった容姿への侮辱が頻繁にあったものですから心は疲弊してきました。
事あるごとに自分の存在価値を否定された気分になり、学生の頃から自己肯定感なんて皆無でした。
中学高校といじめを受ける前、小学校まではもちろん多少のいじめはありましたけど、特段酷い扱いはされていませんでした。暴力もなかったし。。
その頃は活発で外で遊ぶのが好きでよく友達と自転車で遠くの公園に出かけていたり、外でボール遊びをしたり、友達を笑わせるのが好きな思い出があります。
でも、容姿を馬鹿にされてから人生が180度変わりました。
まるで別人かのような人生を歩んでいるような感覚になり、元の素の自分なんてわからなくなってました。
元の自分なんてのは既に死んでしまった感じです。元気のかけらもない日々を過ごしてます。
心が死んだ生活をもう10年は続けている。なので、元の自分なんてわからなくなりました。
醜形恐怖を克服しようと大学時代は自分磨きに専念したが、、、
ですが、僕はそんな自分を変えようと自分なりに努力はしてきました。
自分磨きして大学では「彼女作るぞ~!!」なんて思ってちょっと服装や髪型に気をつかったり、
僕を昔から好きでいてくれる女性も幸運ながらいました。
ですが、僕は頭が壊れていたのか二十歳の頃には精神が崩壊し、心を開いてくれる大学の友人、サークルの先輩、サークルの仲間、そして幼馴染、友達。
そんな友達が怖くなってしまってました。
自分に何が起きたのか、自分が精神障害だというのも二十歳の頃に気づきました。
もっと前に親、身近の人に相談していたら、変わっていたのかなって後の祭りですけど、
いまでも悔やんでいます。我慢してきた自分が、、そして裏切ってきた自分。
そう、、、そして醜形恐怖症がうつ病などの根っこにある部分なので、
ある意味トラウマ的な所があります。
今でも容姿の事を触れられると、途端にその場から逃げ出したくなる、死んでしまいたくなる衝動が出てしまうほど、
日常生活にも支障をきたしているこの病がなかなか克服できないのが僕の一番の悩みです。
大学の頃、あまりに自分が醜く見えたので整形も考え、保険適用になる大学病院にも相談にいきましたが、
保険適用になるのは病気じゃないと(当たり前ですけどw)と言われ、返った記憶があります。
そこまで容姿へのコンプレックスを拗らせて生きてきました。
これが僕が病んでいる一番の理由です。
整形も考えましたが、輪郭は変えようがないですからね。骨を削り取るなんて大手術になると、
その分、費用も重なりますし。
容姿を軽く馬鹿にしては絶対ならない行為
最後に書きたいのは、人様の容姿を馬鹿にするという行為は絶対にしてはならない事。
これは子供の世界だろうが関係なくです。
どうしてか。。それは自分が仮に言われたらどう思うか想像してみたらいいと思う。
あなたが例えば肌の色を馬鹿にされた。
そうなってしまうと、自分の肌の色を変えない限り、変えようのないですよね。
人種差別的な部分ではこれが問題になっているから、いまだに肌への色に対する言葉を言われた方がどれほど傷ついていて、
どれほどの差別を受けてきたのか、世界的な問題になっているのではないでしょうか。
人種とただの容姿へのからかいを一緒にするなという意見もあるかもしれませんが、
ぼくからしてみればどんな人間だろうが人間は人間で生まれたら死ぬ運命にある部分は変わらないので、
肌の色への差別も学校内での容姿のいじめも言葉は違えど差別だと思っています。
昨今、いじめ問題がクローズアップされてくるようになりました。
それは、どうしてかというと僕のように心を病み、精神に支障をきたし、未来を奪われる子供、若者が多いからです。
そういったいじめの中には暴力や器物破損等の犯罪はもちろん容姿への差別も含まれています。
そしてこの容姿への差別が一番厄介なのは人に言えない事です。
恥が出てしまうデリケートな部分であり、被害者はずっと心に背負わなければならない。
そういった自覚がない人が多いから、一向にいじめが減らないのだと思います。
そして、この問題は今容姿への差別という事で「ルッキズム」と言われています。
そんな肌の色の差別から今度は同族の容姿の侮辱へといじめという差別が発展しているという事は
問題視しないといけないと思ってます。
ですが、僕がこうして、いじめサバイバーとして発信することによって少しでも同じ悩みを抱えている人や
いじめ問題、いじめによりどんな影響があるのかを周知できるようになると思うので、
ぼくなりのメンタル的なケアの仕方だけでなく、そういった部分にも触れていきたいと思ってます。