今まで就いた仕事のバリエーションだけは豊富w
こんにちは。
以前、仕事が続かない理由について書いていきましたが、実は仕事が続かないのであって仕事に挑戦してきたことは山ほどあるんですよねw
なので今回は今までどんな仕事をしてきたのかについて書いていこうかなと思います。
分かりやすく時系列形式で書いていきますね!
高校生時代編
遡ると高校時代からアルバイトをしていました。
仕事内容は鉄板料理屋の飲食のバイト。
厨房で料理の盛り付けをする裏方的な仕事です。
実家近くの大型ショッピングモールの一画のレストランブースの所で毎日学校が終わるとアルバイトに行っていました。
学生時代お金に困っていたわけでもないんですけど、中学時代の友人に誘われて入った感じですね。
その誘ってくれた友人は店長と揉めて辞めてしまいましたが、僕はなんだかんだいって高校一年生から大学1年くらいまで通っていました。
チェーン店ではなく昔ながらの小さなお店なんですが、20代後半くらいの若い店長、70歳くらいの社長さん、ウェイターの若い女性、主婦の方、それと学生の僕の5人で働いてました。
多分今まで働いてきた中で一番楽しかった職場かなと思ってますw
学生だから可愛がられてましたし、まかないも旨かったし。
そういった意味で続けられたのかもしれません。
ただ、僕が高校時代からもう精神が病んでいたみたいで、そのせいもあって辞めてしまいました(´;ω;`)
ちなみに、そのお店はもうありません。。本当に悲しかった。。
仕事を転々とした大学時代
大学生当時は一人暮らしをしていました。
一人暮らしをしながらまた仕事をしようかなと思い、一人暮らしのアパートがある隣駅の居酒屋で働いてみましたが、まあ言い方悪いですけど、店長がクソで速攻で辞めましたw
多分2日くらいだったかなw
初日なのにいきなり八つ当たりされたので理不尽に思い辞めました。同じ大学生もいましたが、彼らのなだめる言葉が何より辛くて辛くてw
多分続けてたらより精神疾患が悪化していたかもしれません。
そして、次に就いた仕事はパチンコ店の深夜の清掃。
正直仕事自体は楽ですしコミュニケーションもないのでコミュ障の僕にはあっていた仕事だったかもしれません。
ただ、体力面がついていかないのと深夜により不規則な生活になってしまうため辞めてしまいました。
後は派遣バイトに登録して工場で働いてもいましたが、それもまあ過酷な労働というか半奴隷に近い環境だったので2~3回くらいで辞めました。
大学卒業から今に至るまで
大学卒業後もまた仕事を転々としました。
というより、大学時代に精神科に通って自分が統合失調症(当時の診断)が発覚し、就活はせず泣く泣く実家に帰省。
元気になっては仕事に就いてを繰り返しました。
就いた仕事に関しては、先ず近所のスーパーの総菜部門で働きました。大体1年くらいですかね。
主婦が多かったですが割と楽しかったです。
やはり若い男は好かれるんですかねw優しくしてもらいましたw
その次にステップアップしたかったのとコミュ障を治したかったので、ドラッグストアの接客業に挑戦しました。
オープニングスタッフとして入ったのでみんな初心者ですし大学生も多かったのですんなり馴染めました。
そこで気づいたのは案外、自分ってコミュ症でもなかったなということ。
僕はシャイな性格なのもあり、同年代の異性の方と話すのが苦手かなと思っていたんですけど、案外楽しく雑談できたんですよね。
まあ、わけあってやめてしまいましたがw
不動産会社で経理、在宅ライターでライティングの仕事
ドラックストアで働いていたのが大体22~23歳くらいの時でその時に働きながら簿記の資格を取得しました。
何故、僕を取得したのかについては何となくw
当時は事務の仕事に就こうかなと考えていました。
「事務ってコミュ障な自分でもいけるんじゃ、、(;´・ω・)」
確か、そんな理由だったかと思います。
その資格を活かしてふ不動産会社に勤めました。就活して勤めたというより、実家の仕事なんですw
実は不動産業を営んでおりまして、不動産管理の仕事、いわゆる親の仕事が大家なのでその手伝いという事で簿記を取得し手伝っていました。
ただ、体調不良もあり、休み休みになってしまったのと、甘えてる感があってなんか申し訳ないなって感じがしてしまい、実家の仕事からも離れてしまいました。
その後は在宅で働いてました。ライターの仕事ですね。
ライターと同時にアフィリエイトにも挑戦していたこともあってぼちぼちお金稼ぎしてました。
なので、こうして記事を書くことに関してはわりと慣れてしまった事もあって苦ではないですね。
その自分で制作したサイトをポートフォリオにしてWEB制作の会社に入りました。確か24歳くらいだったかと思います。
3年程前ですね。
ただ、会社自体はものすごくいい会社で小さな会社だったんですが、コミュ障、鬱を拗らせて退職。1年くらいだったかと思います。
25歳の時にパチンコ店で朝の清掃バイト
WEB制作の会社でライティングのアルバイトをしてから数か月後。
段々年齢をとっていく事と自立してない焦りを感じ、何とか社会復帰しようと考え、近くにあるパチンコ店の朝の清掃バイトをはじめます。
一日2時間だけのバイトで1年くらい続けました。
ただ、そこも悪くない職場だったんですが、体調が安定せず人手不足も重なり、シフトが増えてしまい、断念。
それから、多分2年近くはニートになります。
ちなみに、去年は若者サポートステーションに通ったり就労移行支援に見学に行ってみたりしてたんですが、一歩踏み出せずに家にとどまってしまいました。それで今に至ります。
まとめ
今回は僕の仕事歴について語ってみました。
仕事で辞める大体の理由って人間関係のトラブルが多いみたいですけど、僕みたいに人と関わる事自体に恐れを感じて仕事選びしている人はあまりいないんじゃないかな?
いるとしたら同類の人かもしれませんね。過去に何かあったとか。
僕ももしかしたら何か別の精神疾患が潜んでいたりするかもですが、あまり精神疾患がどうこうって考えても不毛な世界なので、今は焦らずぼちぼち仕事探そうかなと考えてます(;´・ω・)
正直、正社員へのこだわりもそこまでなく、正社員になれたらいいなくらいにしか考えていません。
というのも、人並みの事ができていない以上、ハンデがあるのは仕方ないですし、それを受け入れながら生活した方が案外安定してくるのかと思っているからです。
今までは安心感がなく、みんなと同じようになりたいと必死になってましたが、まあそれも難しくなってしまったので、少しずつ前をむけたらいいななんて考えています。
そのためにも先ずはコミュニケーション力をつけたい!
プライベートでも仕事でも話すことは欠かせないので、今後は就労支援を活用しながら趣味でもコミュニケーションをとって社会と繋がれたらと思ってます。
今のところ、実家の仕事は考えていません。どうしても甘えちゃうので。
もう大人ですし、自分の事は自分でやってみたい。当たり前ですけどねw
でもその気持ちは高校時代からありました。
独り立ちしたい気持ちはありましたが、結局は精神疾患という病により断たれてしまったのも事実です。
そして助けてくれたのはやはり親、兄妹でした。(家族に関してもまた紹介していきたいと思います。)
やはり息子として元気な姿を見せて社会と関わってイキイキ生きていくことこそが親としての安心感にも繋がると思うので、もう少しだけ足掻いてみようかと考えてます。
では、今日はこの辺で(^_^)/~