暴言暴力のいじめに6年間耐えたら精神がぶっ壊れた話~中学時代編~
こんにちは。
元いじめられっ子現役ヒキニート実家暮らしです。恥ずかしさもなくニート生活送ってますw
そんな僕は精神疾患を抱えていますが、そのきっかけになったのが学生時代のいじめです。
「たかが、いじめじゃん?w」
「ほんの数年だろ?w」
「昔のこといつまで引きずってるの?w」
って思うかもしれませんが、中学高校の6年間いじめにあってきました。
そんな僕ですがどんないじめにあってきたのか、学生時代を振り返ってみようかなと思います。
活発的だった小学校時代
先ずイジメが始まったのは中学時代です。
小学生までは明るく活発的な男の子で人を笑わせるのが大好きでした。
明るく活発的だったので、自分で言うのはあれですが人気者だったかと思います(少なからずですが)
そんな僕ですが、最初の挫折を味わいます。それは中学受験の失敗。ここから僕の人生の歯車が壊れたのかなと思ってます。
小学校高学年になり、兄が中学受験をした影響から僕も兄と同じ中学を受験をしてみました。
結果はダメでした。当時本気で泣いたのを覚えています。
小学校高学年あたりから親から習い事のオンパレードになったのもあって、正直辛かった時期でもあります。
バイオリン、サッカー、そろばん、塾、英語
当時も覚えていますが、一時英語、塾をサボったことがあってそれに対して母からかなり怒鳴られたことを今でも覚えています。
癇癪を起すたびに僕の持ち物を玄関にぶちまけられるとかよくありました。
英語を忘れていた時はビンタされた事も今でも覚えています。
塾を放り出して遊びに行こうとしたら止められ怒鳴られた事もありました。
多分ここから壊れてたのかもしれませんね(;´・ω・)
それから親に相談できなくなったのかもしれません。怖かったんで。
部活内の暴力暴言に耐える中学時代。学校中でいじめが横行
それから中学受験に失敗した僕は地元の学校に入る事になったんですが、
小学校時代サッカーをしていたのもあって中学もサッカー部に入る事にしました。
ですが、これが失敗でした。
僕が入った学校のサッカー部は関東大会に出場するほどの実力ある所で、練習も厳しかったです。
そんな中、僕は中学受験の失敗を引きずり自己肯定感がダダ下がりしてたんですけど、当時僕と同じく小学校のサッカークラブに入っていた子が僕が中学受験に落ちた事を部活のメンバーに言いました。
なんでそんなことを知っているの?と思ったんですけど、それはおそらく父が小学校のサッカークラブで言ったのではないかなと推測してます。
それから部活内でいじめにあいました。
元々馴染んでない感はあったし孤立してたんで仕方ない部分もありますけどねw
いじめの内容は暴力、暴言のオンパレードでした。
中学一年生の夏に僕がボールの的役になってフリーキックの練習台に。
当時は何が起きたのかも分からなかったですけど辛くて泣いた記憶があります。
それから、部活の遠征になるとわざと重い荷物を持たされます。
これが練習あるごとにあるんですから、まあ辛いですよ。
中学2年生になるといじめがエスカレートし始めていき、クラス内でも横行するようになりました。
イジメの主犯格でもある奴がとんでもない奴で僕だけでなく色んな人に危害を加える奴だったんですけど、
特に同じ部活内の僕に対して暴力や暴言を浴びせられました。
内容は
・掃除ロッカーに閉じ込められ外からバンバン叩かれる
・制服を黒板系クリーナーで白く汚される
・上履きを女子トイレ、ゴミ箱、外に捨てられる
・顔が気持ち悪いと毎回馬鹿にされる
・「お前は頭が悪いから勉強しても無駄」だと毎回言われる
・トイレでデッキブラシをこすり付けられる
・教科書、机にに落書き、捨てられる
・髪を掴まれ、床にたたきつけられる
・髪を抜かれる
・体を抓られてあざになる
・テストの点数で負けると金を要求
・学校の裏掲示板に誹謗中傷
・生徒手帳の顔に落書き
・顔が気持ち悪いからとテーピングをまかれる
まあ、ざっと書いていきましたが、他にもいろいろされていました。いろんな人にね。
あまりに辛かったんで、さすがに泣いて職員室に駆け込みました。
そしていじめが先生に発覚し、その晩の夜、加害者親子が自宅まで謝りにきました。
自宅で加害者親子が謝罪。その後も変わらずイジメ
加害者親の父とその息子が謝りに来たんですけど、その父親が厳しいのがあって加害者は泣きながら謝ってきたのを覚えています。
そして玄関の前で
「こいつ、ぶっ飛ばしてええから」
みたいなことを言ってたのでこっぴどく怒られてから僕の家に来たんだろうなと想像できます。
ただ親がいる前でそんなことできるかよと言い方悪いですけどずる賢い感じもしました。
そこで許してしまったのが今となると自分が甘かったのかもしれません。
それから数か月いじめはおさまりましたが、いじめって伝染するんですよねw
いじめ加害者一人の問題ではなく、
他の人が「こいつはイジメていいやつ」と認識するとイジメっておさまらないんですよ。まじで(;´Д`)
なので、主犯格の一人が収まっても他にもスネ夫がいてねちねち攻撃されてました。
さすがに、もう頭がおかしくなっていたのか、頭がボーっとしてました。
今思うと中学生ですでに精神疾患を患っていたんだと思いました。
頭がボーっとするのは感情鈍麻という症状で、外からの危害を感じないようにする人間の本能的なものみたいです。
完全にうつ病の症状だったんですけど、中学生でうつ病がある事自体分かるわけもなかったので、おかしいなと思いつつ学校に通ってました。
とにかく死にたかった思い出です。
それとここで醜形恐怖症を発症してました。人から容姿を馬鹿にされてたんで、人から馬鹿にされる恐怖心がいまだに残ってます。
そのころにはもう昔みたいなひょうきんものだった自分、笑顔の自分が消えてました。
泣くことも喜びも辛さも感じる事ができないロボットみたいな自分。
明らかにおかしくなったことは自分では気づいてたんですけどね。
でも我慢すれば報われると思っていた僕は部活も学校も休まず不登校にもならずに通い続けました。
いわゆる苦登校ですw
今となっては不登校が正解でしたけどねw
まあ、僕には青春らしい青春なんてなくなってました。
まとめ
今回は中学時代編という事で書いていきましたが、本当はもっと書ききれないものもあるのですが、
文章が長くなると思うので、今回は中学時代だけにしてみました。
次回は精神がぶっ壊れた僕が高校に通う編です(;´・ω・)
まあ、相変わらずイジメにあっていたわけですけどw
今思うと、逃げる選択肢というのか勇気がなかったのかもしれません。
親も厳しかったし学校ではいじめにあうし。
逃げ場、仲間がいなかったからこそ学校に通うしかない選択肢を選ばざるおえなかったんじゃないかなって自分では思ってます。
カウンセラーの先生が言ってたんですけど、中学生ってまだ子供ですから学校から逃げる選択肢って出来たのかな?
って話してました。確かにそうだろうなと。
今では
「学校が嫌なら逃げよう!」
「死ぬくらいなら学校行くな!」
みたいに呼びかけていますけど、
その選択ができる人ってよっぽど勇気がある人では?と思うんですよね。
だって子供にとって学校が居場所で自分の全てですから。
それをまだ小さな子供が選択できるのか?その先の選択肢はあるのかも分からないわけですよね。
大人だって会社に行くなって言われたら困るでしょ?
大人なら自分で仕事選べばいいけど、まだ社会も知らない子供にそれを選択させるのは酷ではないかな、無責任ではないかなと思ってます。
まあ、本当は加害者を退学させるべきなんですけどねw
今回はこのへんにしときます。
では(^_^)/~