いじめが起こる原因。。それは理解しない事にある
こんにちは。
のぶです。
最近は梅雨の時期が長く憂鬱な気分ですごしていますが、そんな時ほど憂鬱さから過去の嫌な事を思い出したりしてしまいます。
僕はイジメサバイバー兼うつ病、不安障害を患う精神疾患を持つ身なので、
このブログではイジメやうつ病について語っているわけですが、
そんな僕が日頃思ういじめについて今回は持論を語ろうかと思います。
今回はどうしていじめは起こるのか?について僕なりの考えを語ります。
いじめが起こる理由。それは悪ふざけの延長
いじめ。
この言葉を聞くと、色んな行為を連想できる言葉ですよね。
仲間外れや無視、陰口、差別など、軽いものから
暴力や侮辱、人の名誉を傷つける、物を壊す等の
過酷ないじめもあります。
特に学校内でのいじめの定義はかなり広く、ぶっちゃけなんでもありなのが現状です。
暴力でも性被害でも器物破損でも恐喝でもそれが「いじめ」の一言で片付いてしまうのが今の学校です。
これは嘘でもなく事実です。そういった認識を多くの人はしていないのです。
ただの子供のじゃれあい、いたずら程度の感覚なのが大人たちの認識だと思っています。
自分の経験語りになりますが、僕は中学、高校といじめにあっていました。
僕が被害にあっていたのは、暴力、侮辱、物を壊される、等、
正直自分で言うのもあれですが、けっこう過激ないじめにあっていましたし、他にもイジメられていた生徒はたくさんいました。
やられるのも見てるのも辛く今でもトラウマです。
正直、陰口や無視なんて軽いなって思うくらい僕にとっては辛い体験でしたが、
いじめの辛さは人それぞれ受ける痛みと感じ方は違いますので、
軽いものや重いものと区分けできないのがいじめです。辛さに大小はなく、本人が辛いのならそれは多大なる被害そのものです。
そんないじめがどうして起こってしまうのか。
1つ日常の中で考えられるのは「悪ふざけ」です。これは学生に多いパターンだと思いますが、
人をいじる事は別に悪くないという軽い考えがあるのかもしれません。
例えば、ある人をからかう意味で変なあだ名で呼ぶとか。
僕もされてきましたが、
おそらく悪意があってあだ名で呼んでるわけではないと思います。
「ふざけ」「いじる」とあくまで軽い行為と加害者が捉えているから、加害者本人たちはとくに悪気は感じないのです。
お笑いの世界ではいじり、いじられるポジションはネタになり売れる材料になるので、
お笑い芸人の方々は「いじられる方がおいしい」と話されていました。
僕はお笑い芸人を批判しているわけではなく、事例の1つとして話ましたが、
お笑い芸人はあくまでも仕事ですので、報酬の対価があるわけです。
なので、お笑い芸人のイジメとごっちゃにして人をいじっても許されるんだと考える風潮はあると思います。
これがいじめの厄介なところなのです。
あと、イジメは一対一では絶対に起こりません。
一人に対して複数であるからこそ、連鎖していきます。
たとえ一人の軽い「ふざけ」の行為が大多数になると100倍の痛みになるのです。
例えるなら、一発の弱いパンチは耐えられてもそれが10人、50人、100人からやられるとどうなるのか。
下手をしたら重症を負うかもしれません。
特に集団心理に陥ると歯止めが利かなくなります。これは人だけでなく生き物全般そうです。
群れでいるからこそ厄介なのです。
なので、いじめ加害者本人は「こいつをつぶそう」という強い悪意はなく、
なんとなくいじってみたの感覚だと思います。
そういった思いが集まると、もの凄い大ダメージをうける事になるのです。
人が嫌がる事をしていけないという当たり前が出来ていない社会
「人が嫌がることはしてはいけない」
これって実に当たり前というか子供の頃から親や周りの大人から教わる事ですよね。
でも今の時代、こういった当たり前に思える言葉が欠如しているのかもしれません。
これは子供だけでなく、大人もそうです。
会社内でパワハラという嫌がらせ、いわばイジメがあるなんて事は昨今問題になっていますが、
人が嫌がる事をしていけない、というある意味人に対する思いやりがなくなってしまっているのが
現代日本だと僕は思います。
こういった当たり前の言葉を大人が発しないのが実に不思議です。
特に子供に対して大人がこれを言わないのは今の時代多いんじゃないかな?
社会全体が核家族化が進み地域社会が崩壊している今はおせっかいやきな大人が煩わしく思ってしまいますが、
そういった地域で支え合い、悪い事は悪いと言える環境がないのではないかと思います。
辛かったら近所の人に助けを求めるとか。親戚に話すとかそういった地域社会がなくなると逃げる場がなくなり孤立し最悪の場合、自ら命を絶ってしまうのだと思います。
現代は個人のプライベートは優先されてはいますけど、こういった言葉をみんな忘れてしまっているのかもしれません。
いじめが起こるのは人の痛みを理解しないから
人の嫌がる事をしてはいけないという言葉はどうしてあるのか。
僕は人の痛みを理解する言葉でもあるんじゃないかなと思ってます。
皆さんは人から嫌な事をされたらどう思いますか?
当たり前ですがいい気分はしませんよね?
そういった人の痛みを理解できる事ができれば自ら率先していじめるなんて事も減るのではないかと思います。
わりと綺麗事なので現実はそうはいきませんが、
もし仮にいじめが起こったとしたら僕は痛みを教える必要があると思っています。
この痛みとは大人が子供にして「叱る」事です。
叱る事をきちんとする。悪い事があったら痛みを教える。自分がしてきた行いがどれほど悪い事なのかを教える。
それも僕は立派な教育だと思っています。
罰を与えるって悪いように聞こえますけど、人は公正できますので、人の痛みを教え
自分がどんな酷い事をしてきたのかを分からせる意味でもある程度の痛みを教える事は大事です。
そうして加害者、被害者の立場を共に理解していく事でいじめは起きたとしても再発は防げると思います。
いじめはどうしても起きてしまうものではありますが、だからと言って放置するのは
目の前で殺人が起きているのに見て見ぬふりをする事と同等。
大げさかもしれませんが、昔からいじめで命が失っている以上、僕は大げさではないと思います。
いじめはただ人を傷つけるだけでなく、人の人生すら奪いかねないのですから。。
人の痛みを理解するのもそうですが、加害者への理解、そして被害者がいじめられる理由、両方を理解していく必要があると思います。
まとめ
いじめについて今回はどうしていじめが起こるのかについて書いていきました。
正直、いじめの根絶は難しい問題だと思います。
いじめを無くそうと思うとなると、それは人種差別的な広義のものも含まれてきたりするので、
いじめがなくなるとは思いません。
ですが、世の中に殺人や軽犯罪がなくならないように無くならないからといって見過ごすのは僕は違うと思います。
いじめがなくならなくても、いじめを減らす努力は必要なのかと。
そのために、先ずいじめがどんな事なのか、人にどんな悪影響を与えてしまうのか、を理解する事こそが
いじめへの関心を高め、いじめの防止策へと繋がっていくと思います。
僕はこのブログは精神疾患としての日々の日常や病気の対処法も紹介していますが、
それだけでなく、いじめによりどんな影響があるのかを発信していくつもりです。
僕も10年以上は経ちますが、今もいじめと闘っています。自分との闘いです。
そんないじめサバイバーとして、そして僕のように苦しんでいる人の手助け、あと、今後いじめが酷い行為という思いを伝えていく思いもあったりするので、
今後とも読んでもらえると幸いです。
今後ともよろしくお願いしますm(__)m