いじめ自殺事件について元いじめられっ子でいじめ後遺症に苦しむ僕が思う事
こんにちは。
のぶです。
僕はいじめ被害にあってかれこれ10年は経ちますが、いまだにいじめの後遺症に苦しむ
、いじめによる被害を受けて生き延びた、
いわば「いじめサバイバー」です。
そんな僕が昨今のいじめ事件に関するニュースについて思った事を書いていこうかなと思います。
今現在、いじめられている方、そして過去にいじめをうけて現在も苦しんでいるサバイバーの方、
被害者であれば色んな思いがあると思いますが、あくまで個人的な意見になりますのでご了承ください。
いじめを犯罪と言わず、何故メディアは被害者ばかり報じるのか?
いじめの悪質性は昔から変わりません。
そして、いじめに苦しむ人も後を絶えない、ましてや命の危険を脅かすいじめがどうして犯罪にならないのか疑問なのです。
おそらく、善良ある方、被害にあわれた方であればいじめが犯罪という認識だと思うでしょうが、
実際はいじめ加害者は少年院に送致されるなんて話は一切ありません。
そして、昨今のいじめ事件を見てみると、教育委員会、教職員が隠ぺい工作を図る始末。
ようは見て見ぬふりをする輩が教職の仕事についているんですよね。
これには学校という組織的な欠陥が問題になっていますが、以前改善もされず仕舞い。。
こうしている間も日本中の子供たちが追いやられて自ら命を絶ってしまうケースが後を絶たない。
そして、被害者は辛い経験を人に話せないので、心に膿が残りそれが精神疾患発症の原因となる。
その現実をどうしてメディアは報じないのか不思議です。
いじめが起こると決まって被害者の名前を取り上げて、勝手に物語を作るのが決まったパターンですよね?
被害者遺族、そして亡くなられた子供の生前の顔写真をさらし、
「あの子はとても明るい子供でした」
「あの子はとてもやさしくて思いやりのある子供でした」
そう決まり文句のようにメディアは報じますけど、もし仮に事件という認識があるのであれば
被害者だけでなく加害者を報じるべきなのではないかと思うのです。
人が亡くなった以上、それは事件ではないのか。きちんと警察が介入し捜査してどのように事件が解決していったのか。
そこまで報じるべきではないのかと思うのです。
僕はもう、いじめは死語にするべきだと思っています。
いじめではなく、暴行、恐喝、器物破損、名誉棄損、侮辱等の刑法違反として考えるべき問題ではないのかとおもっています。
ですが、メディアになると途端にそういった刑事事件が「いじめ」や「パワハラ」
で片付けられてしまう。
それで本当になくせるのかと思うのです。
いじめではなくただの犯罪被害
いじめを受けた被害者側の立場になると、イジメをうけるという事は精神的な苦痛もそうですが、
さらにイジメられたという屈辱的な思いに悩まされると思います。
そして、誰にも助けを求める事ができない孤独、苦しみに悩まされると思います。
仮にいじめの事を人に打ち明けても「そんな事いまさら」とか「いつまでも悩んでも仕方ないでしょ」
と言われてしまう恐れを感じて人に打ち明ける事に戸惑う人もいることでしょう。
僕自身、そうでいじめを人に話したのは大人になってからでした。
その間、ずっと生きづらさを感じながら自分の気持ちを殺して生活してきましたが、
ある時限界がきて、ぽろっと話しました。
それでも、やはり言いづらい事、ずっと隠したい事なのです。
これはいじめだけでなくどんな犯罪被害も人に打ち明ける事ができないものです。
こういった被害者の傾向がある時点でいじめとは犯罪ではないのか?と思うのです。
いじめをただの子供のいたづら程度に思っている以上、いじめはなくならないとおもった方がいいでしょう。
いじめはなくならないのではなく、本気でなくそうとしていないのではないかと思います。
まとめ
いじめは人の人生を壊す残酷な犯罪です。
けっして子供の遊びの延長程度のものではなく、人の人生を壊し、人の人権を無視した残酷な行為だという事を認識するべきではないかと思っています。
そして、被害者の立場として思うのは、いじめというワードはもう死語にするべきだと思っています。
日本が法治国家である以上、法がルールであるので、それに準ずる言葉を使用するべきかと。
そして、いじめという言葉はとても抽象的な表現で被害の程度がわからないのもあるので、
いじめではなく、暴力、侮辱など、明確化させる必要があると思います。
どうかいじめという犯罪がこの世からなくなる事を願うばかりです。。