いじめ加害者を逮捕しないのはいじめが犯罪とされてないから。マスコミの「いじめ」表現に疑問を持とう!
こんにちは。
のぶです。
僕自身、いじめ被害者の立場といじめ被害体験を抱える身としてブログを運営していますが、
僕がいじめられていた当時から思っていたのは、
「なぜ加害者を逮捕しないのか」「警察沙汰にならないのか」ということでした。
僕がいた中学校ではわりと地区の中では文武両道の優秀な学校でしたが、いじめ被害にあう人、いじめ行為が盛んにおこなわれていました。
そんな優秀と思えるかのように見えた学校の裏ではストレス発散の為にいじめという犯罪行為が日常茶飯事でしたので、
大人になった今でも学校という空間に対して物凄く不信感があるのです。
そこで今回は元いじめられっ子の立場から考えるいじめが犯罪にならない理由を考察していこうと思います。
いじめが犯罪認定されないのは大人の認知の甘さが一番の原因
いじめという行為が犯罪にならないのは一番は大人たちが子供のじゃれあい程度にしか思っていない事だと思ってます。
被害者からしたら地獄のような経験でありますし、実際に人が死んでいるくらいの大問題なのですが
それでも、「たかがいじめで死んだのかよ」というのが大勢の思いだと思います。
つまりは犯罪と思ってないんですね。いじめという言葉を用いればどんな犯罪行為も子供のじゃれ合い程度で済まされてしまうのです。
そこを疑問に思う必要があると思います。大人たちの認知の甘さが自分の子の命を奪う結果になるわけです。
しまいには、被害にあった子に対し
「そういういじめ体験は世の中あるから我慢しなさい」
と間違った教育をする親もいるでしょう。
被害者は既に我慢をしてボロボロになっているからつらくて打ち明けたのに
大人がきちんと犯罪被害にあったと認知せず被害者側の子の気持ちを汲み取らないでいると
心が壊れ、いずれ自殺に至ってしまう可能性があるのです。被害者をさらに追い詰める言葉をかけては決していけません。
そして被害者側は「いじめられた側に問題がある」と言われるのでは?という
二次被害を被害者側は一番恐れているのです。だから人に言えないのです。
人に言える程度であればそもそも自殺まで考えませんから。
犯罪被害にあって被害者側が悪いのは決してないのです。例えるなら道を歩いていたら、前を歩いていたヤンキー集団から
集団で暴力被害にあったくらい、理不尽な目にあっているわけですから、いじめではなくて、それは犯罪であって暴行罪が適用されるのです。
そういう認知の甘さがあるせいで子供が毎年命を絶つわけですから、もはや殺人でいいのではないでしょうか?
刑事事件として扱うべき事案と世の中が認識するようになれば犯罪被害にあった被害者側も心よく打ち明けることができて、
被害者側の人権が軽視されることもなくなると思います。
僕自身は認知の甘さ、いじめという行為を犯罪と思っていないのが一番の問題だと思ってます。
いじめ行為のほとんどが刑法に当たります。
日本は法治国家なので、法律がこの国のルールです。なので、法律を守らない人は罰があり、
反省するために刑務所が用意されています。
少年院も用意されているので、少年犯罪の場合は少年院にいれるべきだと思ってます。
それで、いじめが犯罪にあたる理由は刑法にきちんとどんな行為が犯罪に当たるのか決まっているからです。
暴力は「暴行罪」
人を馬鹿にする、ネットなどで個人を誹謗中傷するのは、「侮辱罪」、「名誉棄損罪」
物を壊す行為は「器物破損罪」
等、大半のいじめ行為は刑法に当たる犯罪行為です。
なので、いじめなんてものは存在せずあるのは犯罪ですから、警察はきちんと捜査し、
被害者側は被害届を出し、きちんと加害者を逮捕するべきなのです。
マスコミの「いじめ」という表現に疑問を持つべき
学校内での学生の自殺報道があるとニュースとして取り上げられますが、僕は毎度疑問に思うことがあります。
それは何故、決まって「いじめがあった」と表現をするのか。
学校だけでなくて会社でもそうですよね?
パワハラなんて言葉は昔はありませんでした。おそらくできたのはつい最近の話。
学校内での犯罪行為になると「いじめ」
会社内での犯罪行為になると「パワハラ」もしくは女性に対する性被害は「セクハラ」
これっておかしいと思いませんか?疑問に思いませんか?
どうしてわざわざこういう言葉で表現する必要があるのでしょうか?
それは個人的に思うのは犯罪にしたくないからだと思ってます。犯罪として国民に認知してほしくないんです。
だから、犯罪があってもそれはたかが、いじめにしようという大人たちの都合のいい表現にしてごまかしているだけなのです。
そういう風にマスコミよって報道されていることに疑問を持つべきだと思います。
いじめなんてのはありません。
あるのは、名誉棄損、侮辱、恐喝、暴行、器物破損等の刑法違反であって犯罪なのです。
仮にこれが道端で同じように暴行を受けていたら警察を呼ぶ事態になるんですから。
犯罪はきちんと犯罪とするべきです。
マスコミの報道が「いじめ」という偶像を生み、犯罪として扱っていないのではないかと思います。
いじめなんてものは存在しません。あるのは人権侵害であり、犯罪です。
いじめ問題を真剣に捉えていないから子供が自殺する
最後に思うのは、学校という母体自体がいじめ以前に人権意識が欠けたところとしか思えないということです。
そして大人までも人権意識が欠けているからこそ、大人になってまでいじめなんて行為をするのだなと思います。
どうして人を傷つけてはいけないのか。
どうしていじめという犯罪行為をしてはならないのか。
そういう人や心、人権に対して本気で教える時間って学校教育にありますでしょうか?
心を病んで精神科や心療内科に通う子は沢山いるでしょう。
ですが、心を癒すのは薬ではありません。人で癒すしかないのです。
自殺を考えるほど心を病んでしまい、未来を自ら断ってしまう子、
学校にいけなくなり将来が見えなくなり、自殺を考えてしまう子、
そういう子どもたちの心の傷を癒すのは精神科や心療内科ではありません。人の力でしか治らないのです。
そして、誰か一人真剣に話を聞いてくれる人がいる、見方になってくれる人がいたなら、
学校で死ぬ必要もないのです。
学校での自殺が多すぎるせいか、何か感覚がマヒしてないでしょうか?
もう一度、人の心について勉強するべきだと思います。特に、教育に携わる先生方は。
子供たちの未来だけではなく、命を預かっているわけですから。
神戸市の新人教師カレーいじめみたいな外道どもが教育現場にいる日本に子供たちの未来を預けているのが一番恐ろしいと思います。
人権意識がないからこそ、ああいった愚行ができるのでしょう。
そういう大人への教育ができていない、先生に対する教育不足が一番の問題だと思います。
今回は加害者側を逮捕するべきと言いましたが、加害者側の更生の意味を込めてます。
加害行為をした生徒を更生させる施設もきちんとあるのですから、
そういう施設に加害者側を通わせる必要もあるのではないかと個人的には思います。
そうやって人を痛めつけて成長した大人がまともになるとは思えないので。
また、大人になって罪をかさねるに違いないと思います。