気ままにいこうよ

いじめ、うつ病、ニート。ネガティブ人間が模索、提案するブログ

いじめサバイバーの視点から考える子供に「いじめがあったら逃げて」が無理な理由

こんにちは。

のぶです。

 

僕はこのブログを通じて過去のいじめ、そして現在もいじめによる鬱症状、トラウマと闘っている事を伝えています。

 

そんなもう大人の僕からみた「いじめがあったら逃げて」というイジメに苦しむ子供たりに向けたサインについて

 

元いじめられっ子のいじめ後遺症に苦しむ僕からの考えを書いていこうと思います。

 

 

いじめがあったら逃げては現実的でない

昨今、いじめに関する問題が後を絶たないどころか、いじめの認知件数が段々増えて陰湿化している今の現状で、

 

いじめ問題はもはや社会問題へと発展しましたが、

 

そんな中、いじめという行為を受けた被害者側を救済するような言葉が前からあると思います。

 

そう、、「いじめがあったら逃げて」

 

という大人からのメッセージですね。

 

これは確かにそうだなと思いますし逃げるのが正解です。不登校でも死を考えるほどつらいなら逃げるが正解。

 

これは大人でもそうですね。

 

パワハラなんてするクソ会社に勤務して鬱になって自殺を考えるくらいなら、会社を辞めるのが正解です。

 

ただ、現実ではこの「辛かったら逃げて」というサインが当事者にとってどれほど難しいのかを考えなくてはいけません。

 

もちろん、正しい言葉ですが、

 

実際は「逃げれないからこそ辛いのです」

 

その理由についてこれから書いていこうと思います。

 

いじめから逃げる事が難しい理由

死を考える段階はもう死しか逃げ道がないと思ってる

 まずいじめにより心身共に傷ついた状態は人によりますが、先ずいじめにより自殺を考えている時点で

 

多大な心身への苦痛を受けている可能性があります。

 

いじめで死ぬなら逃げてというのは確かに正しい判断ですが、

 

「死ぬ」という選択肢が頭によぎった時点で自殺への道筋が見えてしまっている状態です。

その状態から果たして逃げるという正常な判断へと向かうのかと言えばこれは難しいと思います。

 

これはいじめに限らずどんな原因で自殺を考えてしまう方も一緒です。

 

自殺という選択肢が見えてしまった時点でなかなか自力でとどまるのは難しいという事。

 

それが出来ていたらそもそも自殺はしませんから。

 

なのでいじめ=死ではないですが、やはり死に繋がるような心身的苦痛はそう簡単に自分の意志で取れるものでもありません。

 

現に、いじめを受けて何年も経ってから自ら命を落とされる方もいます。そのくらいに被害者は追い詰められているのです。

 

逃げるという選択肢が思い浮かばないくらいに。。。本当に難しいですが。。

 

いじめにより鬱状態へ。正常な判断も難しい

では、どうしてそうなってしまうのかを考えるとやはりいじめにより精神的苦痛が鬱へ発展していきます。

 

いじめの場合ですとうつ病というよりかは、急性ストレス障害心的外傷後ストレス障害(PTSD)

 

がかなり強いと思います。

 

これは正直うつ病より厄介です。専門的なカウンセリング治療を受けない限り、トラウマ症状があるたびに思い返されてしまい、

 

そのたびに鬱へと繋がります。

 

特にいじめの場合ですと原因が複数の加害行為だと思うので、複雑性PTSDの可能性があります。

 

震災やある事故の経験ですとその一場面が辛い体験となりますが、

 

いじめの場合加害行為は数知れず、複数による事が多いです。

 

暴力や無視、侮辱、器物破損。。等、数知れずの苦痛を子供は受けています。

 

その状態で果たして周りにサインを出せるのか。。僕は無理でした。

 

そんな事考えてる暇がないくらい苦痛だったからです。その痛みが10年たった今でも残っているほど心身の苦痛は残ります。

 

いじめから逃げるという選択肢がなくなるほど辛い人は逃げる選択肢が狭まっているのです。

 

逃げれるいじめはまだ抵抗できるが抵抗力が落ちていく

いじめに限らずですが人ってある程度の辛い事は耐える事ができます。

 

たとえ辛い事でも耐えられるものはありますが、複数人による加害行為を一人で耐えるとなると

 

相当な心のダメージへの容量が必要です。

 

最初は耐える事はできます。ただいじめとはエスカレートしていきますので、段々とエスカレートすると共に耐えれなくなります。

 

最初はちょっとしたいたずらだったものが最終的には暴力へと発展していったら、うですか?耐えきれますか?

 

おそらく暴力へと発展している状態になってしまったら結構な心身へのダメージが蓄積され、それが精神疾患へと繋がっている場合が考えられます。

 

そうなってしまってから逃げるという選択肢では遅いのです。

 

普通の犯罪被害でも逃げる事は容易ではない

いじめだけでなく普通の犯罪被害にあっていても逃げる事は容易ではありません。

加害行為という恐怖に実際あってみると人は硬直します。

 

例えば性被害にあわれた女性の場合、電車で痴漢にあっても恐怖で声を上げられないはずです。

 

実際に知人で痴漢被害にあわれた方がいないので分からないですが、

 

恐怖という感情が途端に出ると実際声もあげれないのです。

 

これは個人的な考えですが、勇気の問題以前に先ず自分自身がその時起きた現実を受け止めきれないからだと思います。

 

例えば日本にあまりない事例ですがコンビニで買い物しているときに強盗が現れ、拳銃で銃声をならしたとしましょう。

 

その場合、たぶん多くの人は硬直すると思います。それは現実に何が起きたのかが分からないからです。

 

いったん固まり、時間が経つと共に現実を受け入れ恐怖へと変わる。

 

話はそれてしまいましたが、学校内のいじめとは子供にとってそのくらいの心身のダメージだと思うのです。

 

先ず自分がなぜいじめられたのかが分からない。それを受け止める、現実を受け入れるのも相当時間がかかります。

 

大人になっても幼少期のいじめと向き合うのも難しいのに小中校生がその現実を受け入れられるかといったら難しいでしょう。

 

本当につらい事は周囲に助けを求められない現実

これは先ほども書いた通り、現実では周りに助けるのは難しいです。

 

そしていじめによりPTSDになってしまうといじめ加害者のみならず親でさえ信用できなくなります。

 

そのくらいの心身の苦痛があると思うので、

 

周囲に助けを出すのも難しいかと思います。

 

周囲に助けを求められるという事は安全をきちんと認識できる状態であるという事なので、

 

心身共に消耗している段階で周りに助けを求める事ができるのかというと僕は難しいと思います。

 

まず正常な判断ができていないのですから。。

いじめを話す事がさらに自尊心を傷つける

そしてここが一番難しいところになりますが、

 

被害者という立場になると

 

「いじめを話す事が恐怖」

 

という事です。

 

どういう事かというと

 

「ただでさえ思い出したくもない事を他者に話す事がどれほどの苦痛なのか」

「いじめという被害体験を人に話す事で返ってくる言葉に恐怖」

 

という事です。

 

まず、自分自身で思い出さないようにしている事を人に話す事がどれほど苦痛なのかという事。

 

自分の心の中で押し込めていた感情を吐き出す事はそう簡単ではありません。

 

冷静に口で話す事が出来ず、押し込めていた感情を怒りへと変化させてサインしたり、自傷行為として辛さを他者に見せる

 

事で苦痛を表現するのです。

 

それほど、心が辛い状態で冷静に大人に話して助けてのサインを出せるのかというのは、

まず気持ちの整理が出来ていないのにそれを表現する事の難しさ、しかも苦痛というどうしようもない感情を言葉で冷静に口にするのはとても難しいと思います。

 

そして、2つ目の

 

「いじめという被害体験を人に話す事で返ってくる言葉に恐怖」

 

についてですが、

 

いじめ被害者の立場からしてみれば被害体験を話す事でどんな反応が返ってくるのかが怖いのです。

 

相談に乗った受け手によっては受容せず逆に批判する可能性もあるわけで、

 

そういったシビアな内容は傾聴の姿勢がきちんと取れた方でないと難しいと思います。

 

深刻な話をしたのにそれを打ち返されたらどうでしょうか。

 

たぶん余計に心が傷つきますよね?

 

相談された側も悪気があってアドバイスしたわけでもないのに受け手側が余計に傷つけてしまったという経験はあると思います。

 

特にいじめとなると相談者側がアドバイスでさえ被害的に受け取ってしまう可能性もあるので、、、

 

言葉にするのもかなり難しいのです。言葉にできない苦痛なのですから。

いじめられる=恥

自尊心の問題ですが、やはりいじめをうけると自尊心が傷つきます。

 

そんないじめ被害者の頭ではいじめられる事がとにかく恥なので余計につらいのです。

 

この感情を表現できるようになるには相当時間がかかります。

 

そしていじめサバイバーの当事者会、グループセラピーに参加してわかったのは、

 

やはり言葉にできない人が大半です。大人になってもです。そのくらい、いじめとは表現できない難しさがあります。僕もまだまだ難しいです。

 

ですが心を蝕んでいるのは確かなので、言葉にする事が回復へと繋がっていくのですが、

 

結局は言葉にできないまま、逃げ出せず袋小路になってしまうのが現実です。

 

いじめられていない人から見たら逃げるは正しい判断

 

最後に、総括して個人的に思う事は

 

「いじめがあったら逃げて」という周知は確かに正しいと思いますが、

 

実際にそれはいじめられていない当事者でもない第三者側の意見ではないのかな?

 

と僕は思っています。

 

逃げる行動ができる人は逃げて欲しいのですが、現実的には逃げれず日々の我慢をして心身が削られ不登校になるか、

 

もしくは悲しいですが自ら命を落すかという選択になってくるかもしれません。。

 

いじめから逃げるという選択ができないほど追い詰められている場合も十分ありえるのと

そもそも子供の視点からしてみれば学校=子供の居場所なわけですよ。

 

大人でさえいきなり「会社から逃げて」

 

って言われても難しいわけです。実際には。

 

なのでいじめがあったら逃げてというのは僕個人は現実的ではない考えだと思っています。

 

ではどうすればいいのかという事になりますが、

 

まず逃げるという事を周知する前に先ず理解する事だと思います。

 

被害者が言えない理由を理解する。これはとても難しいです。

 

ですが、そうやっていじめについて理解する事で何か見えてくるものもあると思うので、

 

いじめがあったら逃げての一言で突き放すのではなく、

 

いじめをどう理解し、そしてどう考えていくのかではないでしょうか。

 

いじめがあったら逃げてになると途端に自助努力だけで解決しろみたいに聞こえてしまいますので。。

 

まあ、いじめサバイバーの僕からしたら自助努力での解決は無理ですね(;´・ω・)

絶対医療の力がいりますし、それでも難しい時はあります。

 

そんな感じで、元いじめられっ子の僕が思った事を書いていきましたw

 

参考程度に思ってくださいね(´・ω・)

アンチは止めてねwメンタル弱いんでw