ひきこもりは狂った日本社会の犠牲者たち
こんにちは。
のぶです。いかがお過ごしでしょうか。
僕はこれから就労支援にかかろうとするので、ひきこもりに該当するかはわかりませんが、
今のところひきこもりです。断続的ではありましたが7年ほど、働いては辞めてを繰り返すひきこもり未満的な存在です。
そんな僕がですね、ひきこもり問題について思った事があるので書いていこうかなと思います。
僕自身、ひきこもりの身であるのでね。当事者目線で話せると思うので、参考になれば幸いです。
ひきこもりは犠牲者
僕が思うに、
自らの意志でひきこもる人っていないんじゃないかな?
なんて思っています。
何かしら問題があるからひきこもるのであって、問題がなければ自分から引きこもる選択をするのってないのかななんて考えています。
ひきこもりが悪いどうかは別にして思うのは、
ひきこもりって日本社会が作り出した犠牲者なのではないか?という話です。
現在、100万人に上るひきこもり状態の方がいらっしゃいます。
そのうちに僕も含まれているわけですけど、僕の話をすると自らの意志で引きこもったわけではありません。
体、精神に限界がきて引きこもりました。
きっかけは精神疾患もありますが、過去の度重なるイジメです。おそらく、僕のようにひきこもる方の中にも何かしらの被害者がいるのではないでしょうか。
僕は後遺症と闘いながら生活しているわけですが、
社会からみればいい歳して何やっているんだ、甘えで片付けられてしまうのがオチですが、
実際にはないもしていないわけではなく、治療を行い就労支援に通い、社会ともう一度繋がりを持とうとしています。
ひきこもりではないかもしれませんが、社会参加していない、自宅にいる、人との繋がりが乏しい点をみるとひきこもりだと思います。
そんな僕みたいなひきこもり未満のような方も沢山いらっしゃるんじゃないかななんて思っているんですけど、
ひきこもり問題を考えた時に、ひきこもりが悪と決めつけてしまいがちになると思うんですが、
果たしてそうなのでしょうか?と問いたいのです。
ひきこもりってきつい言葉でいうと犠牲者、被害者ではないのかな?って思うのです。
ひきこもってみて分かるんですが、誰もひきこもりたくてひきこもる人はいないって事です。
人は社会的動物である以上、人と繋がる事で世界が見えそれが人生を豊かにしてくれる。
それが人って存在だと思うんですけど、
ひきこもりって全く人との関わりがなくなってしまっている、言ってみればおかしな状態でもあるんじゃないかな?
なんて思ったりしています。
社会が孤立させる社会であるからこそ、イジメという排他的な行為を行い、
その結果がひきこもり100万人という驚異の数字なのではないでしょうか。
僕もそうですが、人ってそうそう怖くなる事ってないじゃないですか。
でも、原因があるからこそ(トラウマ)怖くなるんですよ。
他人との繋がりがなくなってしまう引きこもりという現象は、ある意味対人的なトラウマも関係していると思っています。
今はネットの世界であればリアルな交流がなくてもいろんな人と繋がれますが、
ネットだけで完結してしまって本当にいいのかとは僕は思ってしまいます。。
難しい話ですがね。。僕もひきこもり状態ですし。
今日は唐突ではありましたが、ひきこもり問題について悶々とした気持ちを書いてみました(;´Д`)
まあ、僕はマイペースにいこうと思いますw