気ままにいこうよ

いじめ、うつ病、ニート。ネガティブ人間が模索、提案するブログ

学生時代のいじめによるPTSDの症状、いじめ後遺症を元イジメられっ子が語ります

こんにちは。

のぶです。

 

僕は現在、就労移行支援に通いながら社会復帰を目指している無職の社会不適合者の人間ですけど、

 

僕が精神疾患を患ったきっかけは学生時代の長きにわたるイジメでした。

 

そんないじめの後遺症について今回は語っていきたいと思います。

 

あまり成人した人のいじめ後遺症の当事者の話って聞かないと思うので、、

 

 

いじめの後遺症、PTSDの恐ろしさ。普通に死ねます。

 

フラッシュバックがとにかく酷い

フラッシュバックと聞くと、何か災害とか戦争などのあまりに強烈な体験をした人にだけ起こる精神疾患のように思うでしょうが、

 

いじめでPTSDは全然ありえます。

 

人的被害により、PTSDを発症すると、とにかく厄介につきる。先ず日常生活が限りなく難しくなります。

 

僕はPTSDの症状がかなりひどかった時、フラッシュバックがとにかく酷くて、

 

地元がとにかく怖かったです。

 

地元にいるといじめ加害者に出くわすんじゃないか。

 

と怯えていましたし、いじめにあった場所を通るだけで頭がボーっとしてきて動悸、イライラ、死にたい気持ちに襲われていました。

 

現在は、トラウマ専門のカウンセリングによりある程度おさまりましたが、

 

まだ気を抜くとフラッシュバックがおこります。

 

あと、いじめ加害者に似たような顔の人物、または同じような状況になると、フラッシュバックが起きます。

 

これに関してはまだ収まっていないかもしれません。

 

悪夢を見る

とにかくPTSDの症状が酷かった時は悪夢にうなされていました。

 

地元から離れて住んでいた時も眠る時に悪夢としていじめ加害者たちが現れます。

 

どんな夢をみたのかというと、僕が一番いじめが酷かった時期は中学生時代のサッカー部内での暴力、暴言だったんですけど、

 

その場面の一部が悪夢として現れたりしました。

 

一例としては、合宿所に向かうバスの中でいじめ加害者どもが僕を集団で無理やり

 

押さえつけ、ナイフで僕の腹を刺すという夢でした。

 

この夢を見た時は刺されたと同時に恐ろしくて「ワッー」と声を出して目が覚めました。

 

その当時は地元に住んでいなく、遠く離れたシェアハウスに住んでいたのですが、

 

地元を離れても悪夢として現れるのか。。と思い、どうしようもない気持ちになりました。

それほど、PTSDは恐ろしい病です。

 

回避行動をとる

PTSDの症状が酷かった時はとにかく回避する事しか頭になかったです。

 

とにかく嫌になってしまった地元から離れなきゃ。

 

とにかくいじめ加害者から逃げないと。

 

そんな思いに支配されますから、僕の学生時代はまともな自分の進路なんてのは考える余地はありませんでした。

 

とにかく、逃げる。とにかくいじめ加害者に復讐してやる。

 

そんな思いを抱きながら学校に通い、逃げるように住む場所を転々としてきたので、

 

それが正常な判断であるかのように錯覚していました。

 

回避は場所だけでなく、人も回避します。

 

自分の事をいじめていない人も回避します。僕の事を好きでいてくれる人も回避しました。

 

回避はとにかく人が怖い、怖いから人から避ける行動なので、とうぜん外を出歩くのも怖くなってしまってました。

 

回避行動を拗らせると正常な判断は先ず無理です。思考回路が逃げるしか選択できません。

 

RPGで言えば、戦闘時のコマンドが逃げるしかない状態。

 

すみませんwふざけましたが、冗談抜きで深刻な症状です。

 

とにかく無気力になる

これもPTSDの症状ですが、とにかく無気力になりました。

 

だって、どうしようもないじゃないですか。

 

途方もない闘いを自分の中で繰り広げているわけですよ?

 

僕はいじめ加害者への復讐心を抱きながら何かを取り組んでいましたが、

 

その先にあるものって自分の幸せではないんですよ。

 

自分がこうしたい、ああしたいという思いがあるからその先に向かって頑張る事ができたり、

 

耐える事が出来ると思うんですが、僕はそうではありません。

 

僕の場合は、いじめ加害者どもをなんとかして見返してやる、とにかく人が怖くなったら回避、

 

そんな思考だけしか頭になかったので、その先の事は考えられません。

 

とにかくその場から逃げる事しか考えていなかったのと、途方もない見返すという努力のみでやってきたので、

 

自己肯定感なんてものは当然ありません。だって、見返すったってどうやって見返すってなりますからね。

 

そんな状態だったら無気力になって当然ですよね。

 

復讐心は時に人の原動力になりますが、復讐心に支配されてはいけないのです。復讐の先にあるものは破滅しかないのですから。

 

極度な完璧主義

僕は元々、完璧主義な性格だと思っていますが、それでも極度な完璧主義になったなと自覚しています。

 

というより、いじめられると同じような体験をするのが怖くなるので、

 

そういった行為をまたされないように自分の欠点をあらさがしをしてより完璧主義になってしまったのだと思います。

 

あと、完璧主義って自己肯定感の低さと表裏一体なんですよね。

 

自分に自信がないから完璧にこなすのであって、自分自身に自信があればある程度適当でも大丈夫だろうと思う事ができます。

 

それができないという事は自分に自信がないという事かもしれません。

 

人が怖く心を開けないからなかなか友人、恋人ができない

僕自身、人と親しくなる事に恐れを感じてしまう事があります。

 

心のなかでは「この人と親しくなりたいな」と思っているんですけど、

 

実際は心を開けないんですよね。。これがとにかく辛いです。

 

自分から心を開く努力をしているのに一方で恐怖という感情が心の中で自分を押さえつけている。

 

自分自身の恐れの感情がどこかあるのではないかなと感じます。

 

そうなってくると恋愛関係になるのも気が引けてしまいます。

 

僕は今まで恋愛に発展することはありました。でも長続きしませんでした。

 

それは、僕自身が心の弱さがあるからだと思っているので、相手が悪いとは思ってはいません。

 

自分自身に心の豊かさがないから相手を受容する余裕がないのかもしれません。

 

でも、それでも少しずつ頑張ろうと思います。

 

長い道のりになりますが(;´・ω・)

 

うつ病社会不安障害等の精神疾患に悩まされる

僕自身、直接PTSDと診断されたわけではないのであれですが、

 

やはりいじめという原因があるとそれが心の膿になるのは間違いないです。

 

そんな膿がずっと残っているといつまでも鬱症状、不安症に悩まされてしまうのだと思っています。

 

僕は今はうつ病寛解になってきたのもあって、だいぶ良くなってはいますけど、

 

それでも何か引き金になる出来事があると鬱症状に悩まされます。

 

このきっかけ、いわゆるPTSDでいうトリガーというのは、ふとした事だと思います。

 

たとえば、人が多く集まるところにいると不安になるとか。

 

僕の場合、学生服の集団を見ただけで不安になっていた事もありましたし、いまだに不安を抱く事もあります。

 

このトラウマとなる出来事をうまく処理しない限り、鬱症状は絶対に良くならないといっても過言ではありません。

 

そのくらい、イジメとは大きなトラウマを植え付けるのです。絶対に甘くみてはいけないと僕は思っています。

 

離人症離人

これは実際に僕がなっているのかは自覚していないんですけど、離人といって自分が自分でないような感覚になる状態もあるようです。

 

僕が特に酷い被害にあっていた時は頭がボーっとしてきて、自分が自分でないような感じはしていました。今もですが、若干ある感じがしますね。

 

そんな感じで下手をしたらイジメによって離人症を患う可能性も十分ありえます。

 

これはあまりに強い精神的ストレスが原因だと思います。

 

実際にあった被害体験を思い出さなくなる、その時の記憶がない

被害体験は毎日思い出しているわけではなく、忘れていてふとした拍子に思い出す事がありました。

 

あと、記憶が抜けている事もありましたね。やられていた事実はあるんですが、

 

実際に思い出そうとしても思い出せない。

 

思い出しても断片的だったりと、

 

ある記憶が抜けている場合があります。

 

そして、ふとした拍子にフラッシュバック。これがキツイです。。

 

いじめ後遺症を甘くみてはならない。トラウマは簡単に乗り越えられません

最後に書いておきたいのが、「いじめ後遺症を甘くみてはいけない」

 

という事。

 

もし、あなたが鬱症状に長年悩まされているのであれば、先ず過去に何があったのかを考えてみた方がいいと思います。

 

もしかしたら自分自身が原因を忘れるようにしてきた部分もあると思うので。

 

でも、いじめという被害体験をうけたこころの傷はしっかり自分自身の心をむしばんでいる事は間違いないです。

 

いじめによるトラウマとはまさに心の癌みたいなものです。

 

もし死ぬほどつらいのであれば心の毒がきちんと処理されていないと思うので、

 

その場合はカウンセリング治療が必要かもしれません。

 

僕自身も、治療者の身であるのでまだまだですが、、

 

だけど、当時者として言えるのは、ほっとおいても治らないという事です。

 

あと、もう一つ言いたいのは、よくメディアとかで有名人たちがこぞって過去のいじめエピソードを語り

 

「いじめを乗り越えた」「いじめを乗り越えられた」

 

みたいな美談エピソードがあると思いますが、そういったのは人それぞれなので、無視し方がいいと思います。

 

実際に何十年といじめのトラウマと闘っている人はたくさんいます。そして残念ながらトラウマに支配されて自ら命を絶つ人も沢山います。

 

けっして、簡単に乗り越えられるものではありません。

 

仮に乗り越えられる出来事だとしたら、それはトラウマではないと僕は思います。

 

トラウマとはそう簡単に乗り越えられるものではないので。

 

僕自身、いじめの被害体験を乗り越えられたみたいな美談エピソードは僕自身がまだ過去と決別できていないからかもしれませんが、

 

あまり聞いていて心地いいものではないです。

 

それは、何か急かされる気分がするからです。

 

いじめを乗り越えられない、いつまでも過去と決別できない自分がおかしいのだと思わされてしまうからだと思います。

 

でも、当時者本人は日々自身との葛藤をしています。そしていじめによる被害体験、感じ方、重さ、も人それぞれ異なるわけです。

 

みんな同じ体験をしているわけでもないですし、みんな同じように乗り越えられるわけでもなければ

 

みんな心の感じ方も違います。

 

なので、イジメをひとくくりにしてしまって乗り越えられないのはおかしいみたいな風にしてしまってはいけないのではないか

 

と僕は思います。

 

僕自身、暴力や暴言、器物破損等の犯罪的ないじめを6年ほどあってきたので、

 

犯罪にあったといって過言ではないと思いますが、そういった被害にあって乗り越えたみたいなエピソードを聞くと自分がおかしいのかな?心が弱いからかな?と

 

自問自答してしまいます。

 

難しいところになりますが、いじめはそう簡単に乗り越えられるものではない。

 

仮に乗り越えられるとしたらそもそも生きづらさを感じるまで悩んでいないので自身にとっては大したエピソードではない事になります。

 

そして心の感じ方、受け取り方も人それぞれ異なるという事。

 

それをいじめサバイバーの身として周知したいと思っています。