気ままにいこうよ

いじめ、うつ病、ニート。ネガティブ人間が模索、提案するブログ

頑張った自分、素の自分を受け入れる練習が自己肯定感につながる

こんにちは。

のぶです。

 

僕はメンタルが弱ってるかわからないんですけど、自己否定の負のループに悩まされる事があります。

 

過去にイジメをうけたせいか、それとも元々神経質な性格もあってかもしれませんが、

 

現状の自分に納得できなくて悩んでしまう事が度々あります。

 

そんな僕ですが、自分なりの自己肯定感を回復させる事を書いていこうと思います。

 

参考になれば幸いですm(__)m

 

何かチャレンジして結果が出ても自己肯定に繋がらないわけ

何か物事に挑戦するのってとても勇気がいりますよね。

 

どこか知らない土地に行ってみたり、新たな出会いを探したり。

 

そんなチャレンジをすると何か決まって結果って出ますよね。

 

分かりやすいのは何か試験とかですけど、合否があるから合格したら成功、

 

不合格は失敗、みたいな白黒はっきりしているのが一番わかりやすいと思います。

 

でも、中には結果が出ても納得がいかないというか、自己肯定できない人がいます。

 

まさに僕なんですけどねw

 

では、どうして自分を肯定できないのかというと、

 

僕の場合ですが、「周りに目が行き過ぎて自分の事をおろそかにしてる」

 

ことかなと思ってます。まあ、自己否定しているんだから当たり前なんですけどねw

 

でも、自分では気づきにくいというか負のループにハマってしまうと本当に視野が狭くなるので、

 

自分の欠点にしか目がいかなくなってしまうと思います。

 

仮に自己肯定感が高い人であればそのままの自分を愛し、どんな自分でも大丈夫と思えるのですが、

 

僕にはそれがありません。常に何かに怯えている状態なので、他の人からしたら出来ていると思われても

 

自分ではその弱さを見せれないのがあります。

 

では、どうしてそうなってしまったのかというと、自分の思考もありますが、環境も人によってはあるかもしれません。

 

僕の場合ですが、学生時代にけっこうないじめにあっていました。

 

中学生以降、毎日が暴力侮辱の連続で「お前は努力しても無駄」なんて言葉をしょっちゅう浴びせられました。

 

特に傷ついたのは容姿への差別。顔が大きいとかブサイクとか。

 

僕はこういった言葉がまるで全部自分がおかしいんだと感じてしまい、その結果、完璧主義になってしまったのかもしれません。

 

皆さんはどうですか?思い当たることはありませんか?自己肯定感がなくなった原因。

 

それを見つける事が先ず自己肯定へと繋がるかもしれません。

 

日記療法で自己肯定の練習

自己否定のループに繋がると、自分へのダメだしが始まりますよね。。

僕も自分の欠点をなくそうとばかり思考がいくので、自分の弱いところを見せれずに

 

人前では素の自分ではいれなくなります。

 

それはある意味、防衛が働いているのかもしれませんが、こうした悪いところ探しを辞めようと思って最近は「日記」をつけるようにしています。

 

別に特別な事は書いていません。

 

何かを成し遂げたとか、こういった成果につながったとか、そんな大した事はしていなくて、

 

ただ今日何をしたのか、できたのかをノートにメモしています。

 

例えばですけど、僕は最近、午前中に散歩するようにしていて、それを習慣づけたいなと思い、

 

朝散歩ができたら、ノートに「朝散歩した」と書きます。

 

あとは、ご飯食べれたとか、本を読めたとか、歯を磨けたとか、そんな当たり前の事を見つめなおして自己肯定を上げる練習をしています。

 

こういった事を書くのもある意味、自分を見つめなおす練習なので、ブログも日記療法的に活用しています。

 

中にはブログでお金を稼ぐ「ブロガー」という方々もいますけど、別にそういったお金とちょっけつしなくてもいいと思います。

(お金稼げたら嬉しいですけどww)

 

でも、そうやって客観視する事で可視化して自分を見つめなおして高めていく事が自己肯定に繋がるのかもしれません。

 

誰かと張り合うときもありますけど、人生長いんでね。。焦らず自分なりに生きていいと思えればそれは自己肯定なんだと思います。

 

僕はまだまだ自己肯定が低いので、つい周りにはできるアピールをして素の自分を隠してしまいますけど、

 

そんな弱い自分、傷つきながら生きてきた自分を後から見直す事ができるように今は日記で自己肯定の療養をしています。

 

傷ついたのも努力の結果なのかもしれない

人間、生きていれば色んな事がありますけど、良い悪いは別に傷ついて生きてきた自分もある意味、自分自身であって、努力の結果なのかもしれません。

 

毎日新しい道具に取り換えるのもいいですけど、年期の入った道具を使うのも味があるかもしれません。

職人さんは道具にこだわるっていいますから。

 

傷だらけでボロボロでもその都度磨きあげていけば、過去の自分を振り返った時にそれは良い思い出になる可能性もあると思います。

 

辛い時ほど難しいですけどね。。僕もまだまだ自己肯定を磨き中なので。。

 

でも、そうやって自分のペースで周りなんて気にしないスタンスでいれたら、

 

それはもう自己肯定になっていると思います。

 

僕自身、誰かと比べていらいらしたりするので、まだまだ自分の弱さが見えてとれます。

 

そういった弱い自分を受け入れるのもある意味自己肯定かもしれない。。

 

う~ん。。深いですね(;´・ω・)

 

深い事書いているように見えて実はよくわかってないので、その辺りは本読んで勉強しますw

 

では(^_^)/~