充実に過ごそうと無理に頑張らない。いじめからトラウマ、鬱、ひきこもりを経て思った事。
うつ病を患ってから灰色の景色の中で生きている僕ですが、
鬱になるととにかく欲望がなくなるので
「何が好きなんだろう」「何をしたらいいんだろう」「自分の夢や希望ってなんだっけ」「孤独、、」
って考えが浮かんでくると思います。
それで、空っぽなんじゃないか、、って思う気持ちが芽生えてきてしまうと思うのですが、
充実した人生ってあるのかと言われたら微妙ですよね。
金持ち、社会的な地位、人間関係、恋人、結婚、
それがなければ灰色の人生になるかと言われたらどうなんだろうって気がします。
人には欲求があるのは確かですけど、欲望ってきりがないんですよね。
その欲望の果てに果たして幸せがあるのかと言われたら、僕は幸せってもの自体ないんじゃないかと思っています。
幸せの定義も違うですし、、、日本人として飯が食べて戦争もなくて何十年と生きていること自体が恵まれてるわけですけど、それが幸せに繋がるかは微妙ですよね?
地位や名誉、結婚等を求めなくても生きているだけで幸せという事が鬱を経験して見えてきた気がするのです。
僕自身、自分で言うのもあれですが環境には恵まれています。両親とも元気ですし、兄妹、親戚仲も比較的いいです。
小さいころは友達が多い方でわりかし学校のクラスでも人気のあった生徒だったと思います。
ですが、中学に上がってからいじめをうけて我慢して学校に通っていたら、自己肯定感もなくなり、鬱になってしまってました。
今はだいぶ回復はしてきましたが、心を治す時間と労力、お金、すべてをいじめという行為に奪われてしまったのです。
鬱になって連絡も途切れてしまい、友達もいなくなりましたし、ひきこもったので社会的な地位もない状態です。
ですが、そんな状態でも親や兄妹、親戚は普通に接してくれたのです。
自己肯定感に関しては今もないです。ライフスタイルもガラッと変わってしまいました。
いじめられる前の活発的で無垢な少年のまま成長していたら違っていたんだろうな、、なんて思ってしまう事もあります。
ですが、いじめによるトラウマ、鬱による症状の葛藤、そして自分を愛せなくなってしまった事は確かにありますが、
冷静になって周りを見渡してみるとあるもの、残ったものもある事に気づいたのです。
それは周りのサポートがあって今を生きれていること。見放されていない事。
そういったものを鬱を経験してみると見えてくると思います。
なので、無理に求めなくてもいいと思うのです。
鬱になると空虚感、劣等感、罪悪感等、負の感情に支配されてしまうと思います。
でも、それを取り戻すために何かを手に入れよう、満たそうと愛、地位、金に執着しても化けの皮がはがれてしまうのです。
そういう見える物で埋めようとするから心のギャップで苦しむのかもしれません。
ですので、今ある幸せ、あるものを見渡してみて実感することで徐々に自己肯定感が沸きあがってくるのではないでしょうか。
無理に充実した日々を過ごす必要もうらやむ必要もないのです。
マイペースに生きる。それで、元気になってから何か動いてみると少しずつ回復してくるかもしれませんね。
僕もまだまだですが、自己肯定感を保つ、メンタルを取り戻すには自分にあるもの、今まで出来た事に目を向けてみる事が大事かもしれないですね。
無理に今ないものを手に入れようとしなくていいと思います。ないものはないと割り切ってみると案外充実感が得られるかもしれないですよ。